ニュース
仕事
会社概要

15 ペルリ来航のデザイン

back


リヨンの洋菓子ブランド
「セバスチャン・ブイエ」
ビジュアル・アイデンティティ

ヨコハマトリエンナーレ2017の
認定ショップ
SHOPトリエンナーレ2017 オープン

情報をデザインするということ
インタビュー掲載
光村図書出版 公式チャンネル
2017年5月15日

デザイナー 中川憲造のヒミツ
創造都市横浜のウェブサイトマガジン
2017年5月27日

ピクトグラム制作についてインタビュー掲載
「読売新聞」2017年5月9日号

大きなテーブルの小さな展覧会
「パチリ・ワンデイ展」

事務所見学もできます!
「パチリ・ワンデイ展」のお知らせ

新しいチョコレートブランド
「chocolat beauté(ショコラ・
ボーテ)」

ブルーダルの
LINEスタンプ

バラエティ番組のための
学校のピクトグラム

新洋菓子ブランド
「白金堂」総合プロデュース

ヨコハマ・ポップス・オーケストラ

ポーランドポスター'50-'60展

掲載されました
「Yokohama Seasider」2012年5月号

掲載されました
「Business i.」2012年5月3日号

大河ドラマ50のご当地版モノポリー&
オフィシャルグッズ

オープン・スタジオのお知らせ

ヨコハマトリエンナーレ2011 周回バス

平山煙火の花火ポストカード

横浜グラフィックアート・
ポスターシリーズNo.3
勝井三雄 横浜マリンタワー

横浜版モノポリー

食材ピクトグラム

横浜市開港記念会館
ステンドグラス修復記念誌「甦る光」

(社)日本自動車連盟
入会促進新聞広告キャンペーン
「困ったときも、ハッピーなときも。」

日本初の国産石鹸の復刻版
「磯右エ門SAVON」

クレイジーケンバンドとコラボレーション
新ブランド「イイネ!Yokohama」

医療看護支援ピクトグラム

リラクゼーショングッズ開発

geobox「化石チョコレート」発売

公式横浜ベイシティ交通マップ

大回顧展・モネ オリジナルグッズ開発



中川憲造のエッセイ

15 ペルリ来航のデザイン

14 みやげ

13 メゾネット

12 板チョコレートの進化形

11 ごみ箱のデザイン

10 地ビール

09 アンペルマン

08 仕事場の魅力度

07 都市地図

06 知識の庫としてのマガジン

05 ミニ・ミュージアム

04 無線綴じ

03 ベシェ珈琲店

02 天気予報

01 ソファ&テレビ



ndcgraphics

SITEMAP

2009年は日本開国150年の年として、賑やかしい。1853年のペルリ浦賀来航、1854年の横浜上陸と日米和親条約の締結にはじまり、その5年後の1859年(安政6年6月2日)横浜・函館・長崎を開港して日本は開国した。江戸末期の千石船と呼ばれた和船は大きいもので100トン程度の大きさだった。対して真っ黒な煙を吐いて横浜に来航した黒船は、当時世界最大の蒸気軍艦「サスケハナ」の2,450トン、「ミシシッピー」1,692トン、旗艦「ポーハタン」は1852年建造の最新鋭の2,415トン。この3隻の汽走軍艦に加えて3隻の帆走軍艦、3隻の武装輸送船など、いずれも500トンを越える巨大船9隻が横浜沖に展開して圧倒した。乗組員1,800人、備えた砲は180門。

マシュー・カルブレイス・ペルリ(Matthew Calbraith Perry・1794-1858)はアメリカを出港するにあたり、日本を開国させるための方策を周到に準備している。シーボルトの「日本に関する記録集」をはじめ、マルコポーロ「東方見聞録」以降出版された日本や中国に関する蔵書は750冊におよび、これを艦長室に積み上げて日本遠征の知識を充分にして来航している。捕鯨船の安全な寄港地を求めるという今回の目的の一つも、出版されたばかりのハーマン・メルヴィルの海洋小説「白鯨」から、あるいは日本近海での捕鯨を経験した船長の海流や、沿岸地形の見聞記・報告書から得、これらを士官たちにも読ませた。ペルリは蒸気船が日本へ与える衝撃の大きさを想像することができた。堂々たる艦隊編成によって、困難な交渉を成功させるという「開国のデザイン」がペルリにはあった。

essay
ペルリ提督の旗艦航路図

ペルリ提督横浜上陸の歴史的風景を、遠征随伴画家ウィルヘルム・ハイネ(Wilhelm Heine・1827-1885)の絵から想像できる。先に上陸した士官は、青い将校服に青い制帽、サーベルと腰にピストル。水兵は青いジャケットに赤いモールの白ズボン、銃剣を手に横浜村の浜辺に整列。帆走軍艦「マセドニアン」から17発の礼砲が発射されると、ペルリは白い大型上陸船に乗り込んで上陸。深紅の上着に白ズボンの海軍鼓笛隊の演奏する「ヘイル・コロンビア Hail,Columbia」に足並みを合わせて、ペルリが堂々と、ゆっくりと交渉応接所へ進む。ヘイル・コロンビアは「アメリカ・万歳」というもの。現在のアメリカ合衆国国家「星条旗」が1931年に正式な国歌とされるまではこの「ヘイル・コロンビア」が国の歌として演奏されてきた。ニューヨークの劇場オーケストラの指揮者であったフィリップ・フィル(1734-1793)により、アメリカの初代大統領ワシントンの栄誉を讃える行進曲「プレジデント・マーチ」として1793年に作曲され、後に詩人ジョセフ・ホプキンソン(1770-1842)により「ヘイル・コロンビア」の詞がつけられた。

essay
軍楽隊
音楽は軍隊の士気の鼓舞、信号や行進、儀礼に欠かせない。
古代ローマ軍は戦場や市中の行進にラッパ手たちが活躍し、軍の威容を誇示した。
軍楽隊の「力」を見せつけたのは16世紀のオスマン帝国のヨーロッパ侵攻。
トルコ軍に包囲されたウィーン市民は、打楽器と管楽器によって大音響で奏でるトルコ軍楽隊・メヘテルハーネの演奏に強烈な印象を受け、その後各国はトルコ風軍楽を競って採り入れた。
ペルリの時代、列強の各国軍楽隊の重要性は増し、
ペルリも遠征隊の艦船それぞれに軍楽隊を乗船させていたと思われる。
艦内では夜明けとともに「時砲」が打たれ、楽隊による軽快な楽奏で起床を告げる。
上陸した水兵・海兵隊員は軍楽隊の軽快な音楽に合わせて隊列を整え行進する。
日本の軍楽隊の歴史も横浜村に鳴り響いた西洋音楽との出会いに起源する。

球場のプレイボール儀式や、オリンピックの開会式などを例に挙げるまでもなく、本題に入る前の「式典のデザイン」における視覚効果の重要性は今も昔も変わらない。華麗な制服に身を包み楽器を奏でる楽隊の音楽もその重要な構成要素の一つ。黒船にはいったい何人の軍楽隊員が準備されていたのだろうか。眼には黒い蒸気船、耳に勇壮な行進曲。見たことも聞いたこともない西洋との出会いの驚きは「ペルリ来航のデザイン」でいっそう増幅されたに違いない。幕府との応接地の選択の交渉でもペルリが構想したのは「沖合に艦隊を整列させて威容を誇れること、上陸地が艦船の砲弾の届く距離であること、汽車の模型などの贈り物を展観できる広さのあること」だった。幕府の提案した横浜村は、文字通りヨコに広がるハマを持つことでペルリの意に沿い「開国の歴史」の起点となることができた。

タイポグラフィックス・ティー 第254号 再録
発行:NPO法人 日本タイポグラフィ協会


essay
旗艦 ポーハタン 2,415トン 1852年建造
作者不詳「亜米利加船渡来横浜之真図」安政2年(1855) 神奈川県立歴史博物館蔵
海上での交信は信号旗の時代。26枚のアルファベット旗、10枚の数字旗、
3枚の代表旗、1枚の回答旗の組み合わせで相互の意思疎通を図った。

 

essay
星条旗 Stars and Stripes
国旗はそれを掲げるものの所属する国を識別すると同時に
国家を表徴している。イギリスから独立後のアメリカ国旗は
青地に13個の白星を環状に置き、独立13州の団結を表した。
星の数は合衆国に加盟する州の増加に伴って変わる。
ペルリ艦隊の船尾に掲げられた星条旗は、アメリカ西海岸の
カリフォルニア州を加えた当時の31星13条か。

 

essay
資料......神奈川新聞|平凡社・大百科辞典|横浜開港資料館 「ペリー来航と横浜」|凸版印刷・印刷博物館図録「西洋が伝えた日本/日本が描いた異国」
文芸社・植木静山著「ペリー来航日本開国への途」|東京堂出版・ 宮野力哉著「絵とき横浜ものがたり」|一口坂スタジオ・CD「横浜音開港」ライナーノーツ ほか

 

 

back